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秋の虫の鳴き声が聞こえるのに、とても暑い今日この頃。
今日は、熱いかつクールな話をしよう。
劇場版 仮面ライダーアギト PROJECTG4 の話をしよう。
まず、前提として私は幼いころに仮面ライダーを見ていたが、まず話を覚えていないし、最近は見ていない。
そのうえで、感想を述べたい。
この映画を見て、私は人間vsAIというよりも人間vs人間をこの映画は表現していると思った。
確かに映画のラストシーンでG4が装着者が死亡した状態でも動き、それを人間である氷川誠が撃つが、これも人間vs人間であると思う。
まず、G4の装着者の水城史朗は、自身のことを死を背負って戦うといっているが、まともな死生観を抱いていないと私は思う。
国防とかアンノウン退治のために命を捧げるといえば聞こえはいいが、命を捧げるのは結果なのであって、目的にしてしまえば倒錯した使命感でしかない。
一方、氷川は、翔一のように無条件に生を背負えないが、死は背負わない人物だ。氷川は水城とは打って変わって、我々視聴者に近いのではないだろうか。
なぜなら、現実では死を背負うなんてやらないし、無条件に自分を肯定できるか、と言われたら、答えあぐねるものもいるだろう。
つまり、この映画は水城と氷川の戦いを見ながら、人間ってなんぞや、と問いかけられる作品だ。
映画の自衛隊はとても悪者である。身寄りのない子供を超能力実験のために誘拐したり、計画のために無関係の人間を拉致したりと悪行の限りを尽くしている。
つまり、この作品の悪役は目的のためならば手段を問わない者たちのことである。そして、彼らはG4システムやAIという道具に魂を売り渡したのだ。
このように考えた結果、人間vsAIよりも人間vs人間という気がしてきたのだ。
グダグダ感想を述べてしまったが、面白かったから見てほしい。
ICEBOX
私は田舎に住んでいるため、現在エアコンがない状態である。
やはり、夏はくそ暑い。暦は秋だが、この暑さでは夏も同然だ。
こういう暑いときは、アイスを食べるのが一番だ。
ということで、アイスを紹介していこう。
この暑い時期には、クリーム系のアイスよりもシャーベット系のアイスを求めるだろう。おまけに暑いせいで、水分だけでなく塩分も失われる、そんな時期にぴったりなのが森永製菓の「ICEBOX」だ。
「ICEBOX」には、食塩が含まれているため、発汗により失われたミネラルを補給することができる。また、氷状であるから熱くなった体を冷ませる。最高だ。
ということで、私は全国の小中学校に常備することをお薦めする。
現在、水分補給、塩分補給するな、と抜かす先生は絶滅したと思いたいが、組体操のような安全上、問題のある競技をやらせて悦に浸っている先生はまだ生き残っているだろう。
そんな状況を打破するためにICEBOXの力が必要だ。だから、この夏はICEBOXを買って、食べるのだ。
因みに、ICEBOX 濃い果実氷もうまい。
亜人 16巻 感想
車がなかったため、行きたいときに漫画を買うことなど出来なかったが、今なら漫画を時間があるときに買いに行ける。
今日、紹介する漫画は亜人の16巻である。
あらすじを要約すると、フラッドが起こるわ亜人の起源が一応分かるわ、である。
オグラ・イクヤってやっぱり良いなあ。
以上が私の感想である。
オグラ・イクヤは原作の2巻から登場しているキャラクターである。そのため、1巻から登場しているキャラクターに比べて、人物像に変化がないイメージだ。
だが、この16巻は私のオグラ・イクヤ像を大きく変えた。
オグラ・イクヤは入間基地に向かおうとしている二人の若者に車に乗せてもらう。
車の中には眼鏡の男とガタイのいい男がいて、ガタイの良い男はオグラ博士の吸ってる煙草に気づき、話が弾む。
オグラ博士は煙草を息子に買ってもらったと言って吸い、8歳の時に亡くなったという。
そして、オグラ博士は宇宙は予め運命が定められており、人生は無意味であるということから亜人の起源の話が始まる。
亜人の起源を話し始めた後、眼鏡の男に論理性が欠けていると問われると、無意味な人間の生や運命に抗うものを信じたいとオグラ博士は語る。
オグラ博士の印象というのはステレオタイプな科学者ではないし、拷問されている時ですら煙草のことを気に掛けるやばい奴、という印象だった。
人生の意味や運命に抗える人間を信じたいが、自分では信じられないめんどくさい人間である。
上記の感想を抱いたときに、ふとオタキングこと岡田斗司夫氏の心理デッサン、心理デフォルメの話を思い出した。
かみ砕いて説明すると、心理デッサンが何故人間はゆがむのかを説明している漫画であり、心理デフォルメは人間の歪な心をキャラにしている漫画である。
私は16巻を読むまではオグラ博士の印象は、拷問中でも煙草の話をやめないなどの心のゆがみをキャラ化してかっこいいと思っていたが、16巻でオグラ博士のおかしさをキャラ化せずに、人生は無意味といいながら亜人は意味を見出すといったりして、めんどくさい男だなと思って心理デッサンの話を思い出した。
主人公の圭は勿論、田中も戸崎もオグラ博士も意外に中野もめんどくさい。
人間のめんどくささに焦点が当たっている作品は面倒くさいかもしれないが、読んでほしい。
逆襲のシャア 感想①
私は「逆襲のシャア」が好きである。
ここで、「逆襲のシャア」の説明をしよう。
「逆襲のシャア」は正しくは、機動戦士ガンダム 逆襲のシャアであり、1988年に公開された映画だ。主な映画の呼び方としては、CCA,逆シャアなどだ。
逆襲のシャアがどういう話か説明すると、ネオ・ジオン軍総帥、シャア・アズナブルが地球人類粛正のために小惑星であるアクシズを地球に落とそうとし、それを地球連邦軍ロンド・ベル隊のアムロ・レイが防ごうとする話である。
このあらすじを聞けば二人の「大人の」男の決着がいよいよ着くのかと思うだろう。
しかし、彼らは大人になっていないし、導くべき子供を導くことができずに、お互いを罵りあいながら死んでいくのである。
この作品には、かつてのアムロを思わせるクェス・パラヤという少女が出てくる。彼女は無断出撃したり、電波発言が多かったりと視聴者のアンチが多いが、アムロとシャアはクェスにどうして親身にならなかったのか、とお互いにけなしあうが、アムロはクェスを導くためにはマシーンになるしかない、と言い、シャアは父親役を求められたことをうっとうしく思い、兵器として利用した、とさらりと酷いことを言っている。
上に述べたような台詞を主人公とライバル、それも死ぬ間際に言わせるのが私は好きである。普通、主人公の台詞ではないだろう。
また、この作品は子供や若者は邪険に扱われる作品である。ハサウェイ・ノアというブライトの息子が出てくる。彼はクェスに惹かれ宇宙まで追ってきたのだ。普通の話では、ハサウェイがシャアを倒して、クェスを彼女にして完結、という感じではないだろうか。しかし、そうはならない。
逆シャアの初期プロットであるベルトーチカ・チルドレンではハサウェイはクェスを誤って殺してしまうし、映画本編ではアムロの恋人であるチェーン・アギにクェスを殺されて、チェーンを殺害、などとロボットアニメとして考えられない展開ばかりだ。
私は、逆シャアのガンダムを終わらせるために、主人公とライバルの因縁をしょうもない口喧嘩にし、主人公になれそうな少年少女を主人公にしない、という感じが好きである。
コンテンツ布教大作戦
アマゾンミュージックは良いぞぉ……
最近、曲を聴くときはwifi環境にいるときはアマゾンミュージックを使っている。
今は所有ではなく、共有で回っている。
以前は曲を聴くときは、CDを買っていたけれど、今じゃアマゾンミュージックで済ませている。
宇野常寛氏の著作を読んでみたら分かるが、現在はモノからコトの時代だという。
モノとは物を所有して楽しいという感じである。一方、コトとはイベントやアクティビティ最高、という感じである。
ただ、オタクというのは所有したがるものだ。ほむらちゃんのフィギュアを買えなかったらこの世界の全てを呪うし、島村卯月のフィギュアを買えた時にはこの世界の全てに感謝をするものだ。
これから、世の中はさらなる共有へ向かうだろうが、自分に合ったライフスタイルを確立したい。
以上が前置きである。
Sound Horizonことサンホラがなんとサブスクやアマゾンミュージックにて解禁されたのだ。
私はサンホラはたまに聞く感じだが、これは嬉しい。
だって、サンホラですよ。曲の中で急にしゃべり始めたり、悲鳴が聞こえたり、親父ギャグを言ったりするんですよ。こんなの普通はドン引きするよ。
さらにCDを買って、などと懇願しようとした暁には、普通に適当に返事されて終わるだけであろう。そして、僕は絶望した。
しかし絶望したときに因果は巡ってきた……アマゾンミュージックというベヘリットを伴って……
私と同年代でアマゾンミュージックに加入していない人なんていないだろうから、興味を持ってさえいれば聴き放題だ、ヤッホー。おまけに向こうにお金が入るぞ。
領土を増やしながら、向こうにお金が行くぞ。さぁ、聴くぞ。
以上のように所有ではなく共有のコスパが良い、場所を取らないサービスが人気だ。そうであるからオタクの皆は好きなコンテンツの布教に活用してはいかがであろうか。
コロナより
最近、コロナで黒いマスクを見る。
私はこれを見たときに中二病じゃん、と思ったのだが、これからの時期危なくないですか。
だって、これからクソ暑い夏が始まるのだ。黒は蜂を呼び寄せるし、何より熱を溜めがちだ。夏の暑さで日本や地球に呪詛を吐く私のような人間には、精神汚染が起こる光景であろう。
さて、コロナから私がやったほうが良いと思ったことは、日本全国にwifiを設置すること、日本人の給与の底上げをしてエアコンを設置することの二つだ。
休校のせいで学校の勉強が遅れたと私は思う。しかし、このコロナ騒動で変わったこともある。それらはタブレットによる通信での授業とクラスの存在しない学校だ。
コロナにより密集は避けなければならない。そのため、家で授業ができるようにする。教育は全ての人たちに平等でないといけないから、wifiを設ける。
また、コロナでなくてもいじめや家庭のことで学校に行けない人、不確定な理由で行かない人はいるものだ。その人たちも知識を身につけられる。
さらにいえば、学校での交友関係が社会に出て役に立たないと思う。まぁ、社会は「お友達ごっこ」じゃないだろうし、好きなやつとつるめば良いわけではない。
だが、学校では合わない他者を排除し、いつものメンツとつるむことこそ正しいのだ。これは偏見であるけれども……。
だが、一つのグループにいるよりは、いろいろなグループに所属して、自分というものを規定するほうが私は生き生きできる。
二つ目はコロナのせいで失業者、就職できない人が困るし、経済的に落ち込んだことだろう。だから、給料を上げるのだ。いつまでたっても100円ショップが100円なのがおかしいのだ。黒いマスクで熱中症も出るだろうからエアコンをつけてほしいのだ。
以上のように不満混じりの意見を述べたのだが、対岸の火事ととられるだろう。だが、自分に関係のないことだから、と無関心を装うのは良いことなのか。
無関心になっていると、いざ自分に何かあったら誰も助けてくれないのだ。
ナチスが共産主義者を攻撃したら、共産主義者じゃないから抗わなかった結果、自分が迫害されるときには誰も声をあげてくれない、なんてことには私はなりたくないのだ。
私は、かかる火の粉を払うために視野を広げ、相対化された世界をサヴァイヴしたい。ただ、それだけだ。
このようにコロナと歴史から学んでいきたい。
ほむらちゃんをすこれ
「私、魔法少女になったよ」
魔法少女まどか☆マギカの主要キャラの一人、暁美ほむらの台詞である。
私がほむらちゃんに関しての一番好きなシーンは叛逆の物語でめがほむ――眼鏡をかけたほむら――が髪をかき上げようとして指輪を見せるシーンである。
うーん、あざとい、だがそこがいい。
因みに話題を変えるが、まどマギのフィギュアを探しているときに先のシーンを熱く語ったら友人にドン引きされた。貴様だって「ココスキ」だろうに!!
閑話休題。ほむらちゃんの魅力は何なのであろうか。
私はほむらちゃんの無理している感じが最高に魅力的だと思う。
だって、彼女は元々病弱で気弱な女の子なんですよ。そんな彼女が無理をしてクールぶって、挙句の果てには大好きな友達に「あなたは私の敵になる」っていうんですよ。最高じゃないですか、そう思いませんか?
因みに、個人的な意見ではあるが、ほむらちゃんにはガンダム00のopである「DAY BREAK'S BELL」が合うと思います。中の人的にルイス・ハレヴィだしね。
ということでめがほむをすこれよ!!