亜人って面白いなぁ

 漫画って良いよね。

 読み直すたびに新たな発見がある。

 ということで今回は「亜人」を紹介する。

 

 亜人の魅力は心理描写と緻密な話の構成である。

 まず、後者から話を進めよう。

 亜人3巻で圭と佐藤が研究所で戦っているとき、IBMが衝突し、互いの記憶と精神状態が交差したシーンがある。

 そのとき、佐藤には圭の記憶(海斗との逃走)と精神状態(恐怖)が、圭には佐藤の記憶(謎の外国人)と精神状態(平常心と高揚感)が伝わった。

 この謎の外国人の正体は7巻で佐藤の父親であり、佐藤の本性が明かされる話でもある。

 他にも亜人14巻でゲンが人間であることが明かされるが、4巻の時点で佐藤のIBMに気づかない、sat戦以降鼻の傷がそのまま、など伏線というかしっかり描写している。

 つまり、この漫画は読む者のリテラシーと読解力が試される漫画であるということだ。

 伊藤計劃が、映画とは見る者の知覚や知識によって面白さとか持ち帰るものが変わると言ってたやつだ。

 

 ということで、心理描写の話をしようと思う。

 この作品の心理描写は他の漫画とか小説によくある登場人物の心の声がかなり少ない。

 どちらかというと、人物の表情や目を描くことで伝える映画的な表現だ。

 やはり、この漫画は読解力を要する漫画なのだ。

 さらに、心理描写をややこしくしているのが主人公の永井圭である。

 この主人公の言動を先ほどの表現方法に気を付ければ、3、4巻の時点である程度性格の把握は可能だ。

 ということで、私なりに主人公の性格を読み解いていこうと思う。

 3巻で主人公が研究員を助けるときに、彼のIBMが「一人で可哀想だから、かまってやってた」と言うシーンがあるが、圭はこの言葉を聞いた瞬間、目を見開き、「そんな昔のこと言わないでくれよ」という。この時点で圭は海斗に酷いことを言ったと自覚し、後悔しているというように考えられる。

 4巻で攻に研究員を助けた理由を聞かれたときに、一瞬間があいてから(漫画の中では圭の無言のコマがあるだけである)それについては理由を考えていたけれども、利用価値の有無で助けたと説明している。

 だいぶ、この時点で圭が合理的で鉄のように冷たいという妹の評価が怪しくなる。私はこの時点で、圭はただ単に理屈っぽいだけではないかと思った。

 6巻で、平沢に何故自分が合理的にふるまうようになったかを身の上を通しながら説明するシーンがあるが、9歳のころに父親の失敗を見たから、合理的に振舞うようになったと推測できる。

 10巻では母が登場し、圭は冷たいのではなく合理的なだけと説明が入った。さらに圭は母親似で合理的だと説明があるが、私は違うと思う。

 そのときに海斗と何故縁を切ったのかが明らかになる。

 9歳の時に医者になって妹の病気を治すと母に表明する。海斗は犯罪者の息子だから、圭の医者の道に邪魔になるから縁を切る。

 父親も妹も9歳でつながっている。ここで、私は母親似で合理的だという圭の母の言葉を疑問に思った。

 圭は9歳の時に感情的な父親の失敗をみて、合理的に振舞い始め、妹の病気を治す表明をするときに「一人で可哀想だから」と言ったのではないのだろうか。

 つまり、圭は感情的な人間が合理的に振舞ってるだけだと言える。

 

 ただ、このような心理描写は危険な真似だと私は思う。下手したらブレブレだと思われるからだ。

 だが、この表現で良いと思う。

 亜人のリアリティを保つためにこのような心理描写をしたのではないのだろうか。

 人は自分のことを完全に分かってないし、親、ましてや他人なら理解のブレがあるに決まってる。こいつはこういう人間だと言い切るほうが浅いと私は思う。

 岡田斗司夫の心理デッサン、心理デフォルメ論を思い出した。

 詳しくは「岡田斗司夫 亜人」で検索してほしい。

 

 亜人はやはり興味深い。亜人のおかげで登場人物に感情移入しなくても面白い作品があるのかと気づけたし、読めば読むほど面白くなる。

 ということで滅茶苦茶お薦めです。