逆襲のシャア 感想①

 私は「逆襲のシャア」が好きである。

 ここで、「逆襲のシャア」の説明をしよう。

 「逆襲のシャア」は正しくは、機動戦士ガンダム 逆襲のシャアであり、1988年に公開された映画だ。主な映画の呼び方としては、CCA,逆シャアなどだ。

 

 逆襲のシャアがどういう話か説明すると、ネオ・ジオン軍総帥、シャア・アズナブルが地球人類粛正のために小惑星であるアクシズを地球に落とそうとし、それを地球連邦軍ロンド・ベル隊のアムロ・レイが防ごうとする話である。

 

 このあらすじを聞けば二人の「大人の」男の決着がいよいよ着くのかと思うだろう。

 しかし、彼らは大人になっていないし、導くべき子供を導くことができずに、お互いを罵りあいながら死んでいくのである。

 

 この作品には、かつてのアムロを思わせるクェス・パラヤという少女が出てくる。彼女は無断出撃したり、電波発言が多かったりと視聴者のアンチが多いが、アムロとシャアはクェスにどうして親身にならなかったのか、とお互いにけなしあうが、アムロはクェスを導くためにはマシーンになるしかない、と言い、シャアは父親役を求められたことをうっとうしく思い、兵器として利用した、とさらりと酷いことを言っている。

 

 上に述べたような台詞を主人公とライバル、それも死ぬ間際に言わせるのが私は好きである。普通、主人公の台詞ではないだろう。

 また、この作品は子供や若者は邪険に扱われる作品である。ハサウェイ・ノアというブライトの息子が出てくる。彼はクェスに惹かれ宇宙まで追ってきたのだ。普通の話では、ハサウェイがシャアを倒して、クェスを彼女にして完結、という感じではないだろうか。しかし、そうはならない。

 逆シャアの初期プロットであるベルトーチカ・チルドレンではハサウェイはクェスを誤って殺してしまうし、映画本編ではアムロの恋人であるチェーン・アギにクェスを殺されて、チェーンを殺害、などとロボットアニメとして考えられない展開ばかりだ。

 私は、逆シャアガンダムを終わらせるために、主人公とライバルの因縁をしょうもない口喧嘩にし、主人公になれそうな少年少女を主人公にしない、という感じが好きである。