虐殺器官 感想

 9.11のテロの後、先進国は個人情報を管理し、人々は安全と引き換えに自由を引き渡した。一方、後進国では虐殺と内紛が相次いでいた。

 今日は故・伊藤計劃氏の小説でありアニメ化もした「虐殺器官」の感想を述べよう。

 

 本作を読んで抱いた感想は、意外に爽快感のある終わり方だな、である。

 「虐殺器官」という作品名からして、どこに爽快感があるのかというツッコミがあるだろう。

 私が爽快感を抱いた理由は、マザコンが衝撃を受けて世界に八つ当たりするからである。

 

 まず、主人公であるクラヴィス・シェパードはマザコンである。

 作戦で多くの命を奪っているのにも関わらず、植物状態となった母親を安楽死させたことを任務遂行中にうじうじと悩んでいる。

 しかも、任務中には良心を抑制し、痛みを知覚できるが感じられないマスキングを施しているため、罪を自覚できずにいる。

 クラヴィスはヒロインであるルツィアの尻を追いかけまわすが、自分の罪を赦してくれそうだからという理由である。それもルツィアがジョンポールと不倫していたことを知ってである。

 そんなクラヴィスであったが、ルツィアは同僚に射殺され、軍人になるきっかけとなった母の視線も全て気のせいであることが分かる。そして、クラヴィスは虚無のままに虐殺文法を広めるのだ。

 このどうしようもない八つ当たり感が良い。

 

 一方、マザコンのクラヴィスに対照的な人物としてウィリアムズというキャラクターがいる。

 ウィリアムズには妻と子供がいる。彼がルツィアを殺した時の信念は我々読者に近いのではないだろうか。

 その信念とは、食べ残したビックマックをゴミ箱に捨てる世界、である。

 その世界に正義などあるのだろうかと思うが、我々の生きる世界こそがビックマックをゴミ箱に捨てる世界である。

 例えば、チョコレートを安く買えるのは、カカオの生産者を低賃金で労働させられる――労働しているのは子供である――からである。

 だが、それでもフェアトレードのように生産者に還元するような努力はなされている。

 ウィリアムズというキャラクターは、消費社会の中でのうのうと生きて、見たいものしか見ようとしない私たちのことだ。そして、ジョンポールとウィリアムズは憎しみあい、殺しあう世界と愛する人たちの住む平和な世界とに分けている。

 

 皆さんもこの作品を読んだ後、世界にはまだ課題が残っている、それでも確実に良くなっていると思いながらビックマックを食べきるのはどうだろうか。

 

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)